自家焙煎珈琲

 

〜珈琲と音楽に感謝!〜(仮公開中)

日曜日の朝のフランシス・プーランク

村上 春樹
ロンドンという都市は、何はともあれクラシック音楽を聴くには理想的な場所である。

選択肢が充実していて、毎日毎日どこかしらで聴く価値のある演奏会が開かれている。

                中略

今でも鮮明に覚えているのは、日曜日の朝に聴いたジャン・フィリップ・コラールの演奏会。 これはオール・プーランクのプログラムだった。

タウン情報誌にその案内があるのを見て、「また、何で日曜日の朝なんかに?」といささか首をひねったのだけれど、僕はプーランクの音楽が昔から好きなので、これはやはり聴き逃す訳にはいかない。

この演奏会はコンサート・ホールではなく、古い石造りの建物の中のこぢんまりとした広間でおこなわれた。

とにかくすごく小さな、地味で親密な催しだったわけだ。

窓からは、四月の日曜日の朝の光が静かに差し込んでいた。

そういう、いかにもサロン的な雰囲気の中で、コラールはまるで水を得た魚のように易々と、いかにも楽しげに、プーランクのピアノ曲を次々に弾いていった。

時間的にいえば、こじんまりとしたコンサートではあったけれど、それは僕にとって掛け値なしの至福のひとときだった。

プーランクのピラノ音楽ってこういう風に演奏して、こういう風に聴くべきものなんだな、とつくづく実感した。

プーランクが朝にしか作曲の作業をしなかったという事実を本で読んで知ったのは、ずっと後になってからだ。

彼は、一貫して朝の光の中でしか音楽を作らなかった。

それを読んだ時、僕は深く納得した。

彼の音楽は、その日曜日の朝の空気に、本当にしっくりと自然に溶け込んでいたのだ。

引き合いに出すのはいささか気が引けるのだが、実を言うと、僕も朝にしか仕事をしない。

だいたい、午前4時から5時の間に起きて、10時頃まで机に向かって集中して文章を書く。

日が落ちたら、よほどのことがない限り一切仕事をしない。

僕がプーランクの音楽に惹かれるのは、ひょっとしたらそういうところもあるのかもしれない。

                      意味がなければスイングはない より